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お別れは突然に [介護]

大変ご無沙汰しておりました

本当に久しぶりにブログの記事管理のページを見ましたところ

たくさんの方が再訪して下さっていて、ありがたく思いました

心からお礼申し上げます



ようやく、納骨も済ませ、一段落つきました

数回にわたって、備忘録の意味あいもこめて、介護の最後の記録を

残しておきたいと思います





昨年末ぐらいから、施設の方に「最近召し上がる量が減りました」とか

「お食事の時にスプーンを舌で押し出して嫌がられる・・・」等報告を受けていました

それでも甘いものや栄養ゼリーは口にすることがあったようです

お正月明けからも食べない日が多く、私はこの先どうなっていくのかを

ネットで調べたりもしていました



1月のある日「今日は(私の)祖父の命日だわ」と思いながら仕事をしていたのですが

その日の夜に施設から

「お母様が熱を出されましたが、インフルエンザや肺炎はありませんでしたので

 病院から戻って休んでいただいています」と言われました

その時、ケアマネさんとこれからも食べられずに衰弱していったときの対応策を

話し合いました

電話を切った後、叔母たちには伝えておきました

「そろそろ覚悟もしておかないといけないかもね」という話になりました



そして、その夜寝ているときに母の呼吸と脈がおかしいから救急車を呼びますと

電話がありました

運ばれる病院がなかなか決まらず、再連絡待ちの時間に着替えを済ませて

いざという時のためにいろんなものを準備してバッグに詰めました

1時間近く経って連絡が来たのですが、タクシーで外の景色を見ながら

「家からも会社からも施設からも遠い病院に運ばれて、これからどうやって

生活を回していこうかな。。。症状が落ち着いたら近くに転院させてもらえるかな」と

考えていました



病院に着いてから母に会えるまで1時間近く待ちました

その間に、付き添って下さった施設の人に会うことができて心強かったです

ようやく呼ばれた救急外来の部屋にはストレッチャーに寝かされて

鼻から酸素と、点滴を受けている母がいて

モニターを見る限り切迫感は感じませんでした



そのすぐ前でお医者様からパソコンのモニターで検査の数値やCT画像を

見せてもらいながら説明を受けました

心臓や腎臓の数値は良くなかったですが、治療していきましょうということで

私たちはいったん待合室に戻り、再び呼ばれた時には

「年齢も年齢ですので万が一のときには、延命措置はどうされますか」と聞かれ

「していただかなくて結構です」と即答しました

そして再び待合室へ・・・

座ろうとした瞬間に「急変です!」と後ろから大声で叫んで呼ばれました

その距離わずか数メーターだったのですが、母のところに駆け戻ったときには

母の息は絶えていました



モニターの数値は0になっていてアラームがけたたましく鳴り響いていました

数十秒前まで息をしていた母が亡くなっていることにただただ驚きしかなくて

数秒後には数値が「5」になりました

ひょっとして息を吹き返すのか、と思いましたが「0」に戻りました

亡くなってすぐなら耳はまだ生きていると思い

「お母ちゃん、ありがとう!!」と耳元で大声で感謝のひとことを伝えました

すぐに顔を上げたので、お医者様から「では、(死亡確認を)よろしいですか?」と

聞かれたのでうなずくと、確認作業が行われ死亡時刻が告げられました


「ここで私が5分間泣き叫んでいたら死亡時刻は5分ずれたのかな」とか

「病人のすぐ前で延命の話とかをしたから母は逝ってしまったのかな」と

緊急時にもかかわらず、変なことを考えてしまう自分がいました

そして、前日命日だった祖父が

「よくがんばった、そろそろ(こちらの世界に来ても)いいんじゃないか?」と

母を呼んだのだろうとも思い、いろんな思いが交錯しました



一瞬だけ涙がこぼれたものの、悲しみの感情はほぼなくて

私は一体何から手をつけたらいいのかと頭の中がぐるぐる回りました


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