トラウマの克服 [介護]
私の子供たちは「骨」に対して異常に恐怖心を抱いて大きくなりました
それは叔父の告別式に、当時4-5歳の息子だけ連れて行ったときのこと
棺にお花を入れて、火葬場で棺を見送るところまでは平気だったのですが
再び火葬場に戻った時、遠目に見た息子が
「箱(棺)はどうしたの?あれ、なーに?」と聞くので
「あれは、さっきのおじちゃんの骨だよ」と答えたら
いきなりのマーライオンです
そのあとは、泣き叫んで近寄ることを拒み、私は息子を外に連れ出して
抱いていました
それ以降、息子は食事のたびに「これは何?骨ある?」と聞くようになり
半年くらい、骨のある食べ物が食べられなくなったり
夜中に「死んだら骨になる~」「骨怖い~!」と
悪夢を見て起きるという事態に陥りました
それを見た娘も「骨が怖い」と言い出してしまいました
それから5-6年経った頃、またお骨上げに行くことがありました
マイクロバスにしがみつく息子は、元夫のこわーい親戚にバスからひきはがされ
連れていかれました
そこで、しぶしぶ骨を見て「恐怖」を克服できました
でも、娘はマイクロバスに残ったままで克服できず
その後、私の父が亡くなった時も控室で待っていました
成人してからも、娘は
「お母さんが死んでも骨は拾えない」とさえ言っていたので
「私は息子にしか拾ってもらえないのね」と覚悟を決めていました(苦笑)
今回、お骨上げの時にはきれいなロビーで待ちながら
「怖かったらここで待っていたらいいから」と娘に言いました
「でもね、骨ってあなたが想像している理科室の骨格の模型みたいに
リアルに人間の形をしているんじゃないのよ
例えてみれば、白樺の枯れ枝かな・・・しかもバラバラになっているし」と
補足すると
「白樺の枯れ枝って・・・何なん・・・(苦笑)」と食いついて?きました
そんな会話をしているうちに、係の人に呼ばれて親族一同が収骨室に
移動することになりました
娘も「どこで待とうかな」って感じで移動
大きな扉を過ぎて、収骨室前で待機・・・と同時に大きな扉が閉められました(笑)
娘にしたら、大きな扉のところにひとりポツーンと残るのも怖い(笑)
仕方なくついてまいりました
遠目に眺めながら、落ち着いた様子で
「若い人なら、もっと骨が残っているの??」と聞いてきました
「きっとそうね、おばあちゃんは骨粗しょう症だったから
人よりは残っている骨が少ないかもね
そうそう、シンナーとか薬物を使用していた人は骨が残らないというのを
聞いたことがあるわ~、実際に見たことがないからどこまで本当かしらないけど」と
話しました
係の人の説明が始まるまで、私は骨盤あたりの骨を見て
「ほら、見てごらん、おばあちゃんがしりもちをついて骨折したのが
わかるよね、すごくスカスカだよね」と娘にじっくり見るように促しました
そして、収骨のとき
最初だけ二人で一つの骨を骨壺に移しました
「この場面、初めて見たでしょう
だから『お箸とお箸で合わせて持つのはいけない』と言われているのよ
縁起が悪いと言われることにはひとつひとつ意味があるのよ」と教えました
係のひとは、どこの骨かを説明しながら
「次の方、どうぞ」と促されました
私の次にいた娘はしっかり拾ってくれました
一巡したあと、近い親戚は再び拾って骨壺に移しましたが
まだまだ入りそうだったので
「故人様のことを思いながらどなたか入れてあげてください」と
係の人が言われると、娘はひとり前に出て
蓋がしまらなくなるぐらいまで入れていました(あっぱれ!)
私は、後ろからほほえましく見ていて、同時にすごく安堵しました
きっと、母が一番喜んでいたと思います
お骨上げが終わって、娘に
「怖くなかったでしょう?トラウマから脱出できて良かったね
もう、大丈夫だね」と言ったら
「うん!」と大きく頷きました
かく言う私も、大人になるまでちゃんと人の骨を見たこともなく
昔の金庫みたいな火葬場の扉も怖くて怖くて仕方なかったのですが
父のときに、ホテルか美術館かというくらいきれいな火葬場になっていたのと
肉親ということでマジマジ見たことで怖くなくなりました
そういう意味では、26歳の娘の方が若くで克服したのかもしれませんが
とにかく「娘ちゃんおめでとう!よかったよかった!母はうれしいゾ~」という
ハッピーな気持ちで終わったお骨上げなのでした
悲しみの空間で不謹慎にもほどがある私???
まぁ、おおらかな母でしたから
「まぁ~、よかったですこと、ホホホ」とほほえんでくれていることと思います
それは叔父の告別式に、当時4-5歳の息子だけ連れて行ったときのこと
棺にお花を入れて、火葬場で棺を見送るところまでは平気だったのですが
再び火葬場に戻った時、遠目に見た息子が
「箱(棺)はどうしたの?あれ、なーに?」と聞くので
「あれは、さっきのおじちゃんの骨だよ」と答えたら
いきなりのマーライオンです
そのあとは、泣き叫んで近寄ることを拒み、私は息子を外に連れ出して
抱いていました
それ以降、息子は食事のたびに「これは何?骨ある?」と聞くようになり
半年くらい、骨のある食べ物が食べられなくなったり
夜中に「死んだら骨になる~」「骨怖い~!」と
悪夢を見て起きるという事態に陥りました
それを見た娘も「骨が怖い」と言い出してしまいました
それから5-6年経った頃、またお骨上げに行くことがありました
マイクロバスにしがみつく息子は、元夫のこわーい親戚にバスからひきはがされ
連れていかれました
そこで、しぶしぶ骨を見て「恐怖」を克服できました
でも、娘はマイクロバスに残ったままで克服できず
その後、私の父が亡くなった時も控室で待っていました
成人してからも、娘は
「お母さんが死んでも骨は拾えない」とさえ言っていたので
「私は息子にしか拾ってもらえないのね」と覚悟を決めていました(苦笑)
今回、お骨上げの時にはきれいなロビーで待ちながら
「怖かったらここで待っていたらいいから」と娘に言いました
「でもね、骨ってあなたが想像している理科室の骨格の模型みたいに
リアルに人間の形をしているんじゃないのよ
例えてみれば、白樺の枯れ枝かな・・・しかもバラバラになっているし」と
補足すると
「白樺の枯れ枝って・・・何なん・・・(苦笑)」と食いついて?きました
そんな会話をしているうちに、係の人に呼ばれて親族一同が収骨室に
移動することになりました
娘も「どこで待とうかな」って感じで移動
大きな扉を過ぎて、収骨室前で待機・・・と同時に大きな扉が閉められました(笑)
娘にしたら、大きな扉のところにひとりポツーンと残るのも怖い(笑)
仕方なくついてまいりました
遠目に眺めながら、落ち着いた様子で
「若い人なら、もっと骨が残っているの??」と聞いてきました
「きっとそうね、おばあちゃんは骨粗しょう症だったから
人よりは残っている骨が少ないかもね
そうそう、シンナーとか薬物を使用していた人は骨が残らないというのを
聞いたことがあるわ~、実際に見たことがないからどこまで本当かしらないけど」と
話しました
係の人の説明が始まるまで、私は骨盤あたりの骨を見て
「ほら、見てごらん、おばあちゃんがしりもちをついて骨折したのが
わかるよね、すごくスカスカだよね」と娘にじっくり見るように促しました
そして、収骨のとき
最初だけ二人で一つの骨を骨壺に移しました
「この場面、初めて見たでしょう
だから『お箸とお箸で合わせて持つのはいけない』と言われているのよ
縁起が悪いと言われることにはひとつひとつ意味があるのよ」と教えました
係のひとは、どこの骨かを説明しながら
「次の方、どうぞ」と促されました
私の次にいた娘はしっかり拾ってくれました
一巡したあと、近い親戚は再び拾って骨壺に移しましたが
まだまだ入りそうだったので
「故人様のことを思いながらどなたか入れてあげてください」と
係の人が言われると、娘はひとり前に出て
蓋がしまらなくなるぐらいまで入れていました(あっぱれ!)
私は、後ろからほほえましく見ていて、同時にすごく安堵しました
きっと、母が一番喜んでいたと思います
お骨上げが終わって、娘に
「怖くなかったでしょう?トラウマから脱出できて良かったね
もう、大丈夫だね」と言ったら
「うん!」と大きく頷きました
かく言う私も、大人になるまでちゃんと人の骨を見たこともなく
昔の金庫みたいな火葬場の扉も怖くて怖くて仕方なかったのですが
父のときに、ホテルか美術館かというくらいきれいな火葬場になっていたのと
肉親ということでマジマジ見たことで怖くなくなりました
そういう意味では、26歳の娘の方が若くで克服したのかもしれませんが
とにかく「娘ちゃんおめでとう!よかったよかった!母はうれしいゾ~」という
ハッピーな気持ちで終わったお骨上げなのでした
悲しみの空間で不謹慎にもほどがある私???
まぁ、おおらかな母でしたから
「まぁ~、よかったですこと、ホホホ」とほほえんでくれていることと思います
2019-03-21 00:00
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