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全てが終わって・・・ [介護]

母の死後の数日間は本当に目まぐるしい日々でした

私は、子供の頃に祖父が亡くなったときに母が泣いていないのを見て

「なんて冷たい人なんだろう」と反抗心を覚えました

でも、自分自身がその立場になると正直悲しんでいる暇もなかったです



それに、病院で受け取った死亡診断書の死因のところに

「老衰」と書かれていたのを見て

「母は、病気ではなく身体の機能も全て使い果たして天寿を全うした」と思い

すごく安堵したのを覚えています

量が減ったとはいえ最後まで口から食べられて

一度も誤嚥性肺炎になることもなく

逆縁でもなく、枯れるように亡くなった

これが一番幸せな最期だったと思うと精一杯送り出してあげようと思いました

私の苦手な昔ながらの(こわーい)祭壇ではなく

暖かい色のお花で囲んでもらいました




告別式の後、初七日も済ませて帰途についたとき何故か

「焼肉が食べたい!!」と思いました(笑)

未だに食べていませんが・・・その時は、身体が肉を欲していました




その後は、週一回会社を休ませていただいて

役所や金融機関の手続き、公共料金や保険関係の名義変更

不動産の相続手続き、葬儀や四十九日の法要のためのお返しや準備に加えて

逮夜ごとのお寺へのお参りや、確定申告など目が回る日々でした

今度は「全てが終わったら、ゆっくり温泉につかりたい~」

身体と心が温泉を欲しました

人生、悲しい時も欲だらけ(笑)




そんな気持ちを、友人が察してくれました

ママ友が御供を持って、私の家に来てくれました

私の負担にならないようにと、お弁当やデザートまで持ってきてくれました

DSC_7874 (1).JPG

いつも私のことを助けてくれる素敵な人たちです

今度、お泊り会をしてくれることになりました



別の友人も「お疲れ様でゆっくり温泉に行こうね」と言ってくれました



私にとって友人は何ものにも代えがたい宝物です





つい最近、母がお世話になったグループホームと特別養護老人ホームに

ご挨拶とお礼に行ってきました




認知症発症から亡くなるまで12-3年

今思うと介護の中で、施設に預ける前が一番苦しかったです

大阪と実家が離れていたこと

仕事中に警察や銀行から次々と電話があり何度も駆けつけたこと

昼夜逆転した母が真夜中に電話をしてくるようになったこと

家の中がめちゃくちゃになっていたり子供も小学生だったのと

お願いしていたデイサービスや訪問介護でも

母の生活は立ち行かなくなり、私も母に優しい気持ちにもなれず

心身ともにいっぱいいっぱいでした

でも、思い切って転居手続きをして大阪の施設にお任せしたおかげで

私は穏やかな気持ちで最初から最後まで接することができました

週に一度面会に行くようにしていましたが

私が穏やかだと、母も私のことを「泥棒」とかののしることもなく

優しく穏やかなままの母でいてくれました

一番親しい人を疑うとよく聞きますが、それがなかっただけでも幸せでした




四十九日のお焼香のときは、ぐっとくるものがありましたが

納骨のときには「早くお父さんと会って積る話をしてね」と

明るい気持ちで送り出しました





毎日母の話にお付き合い下さりありがとうございました

書くことによって、私も気持ちの整理ができました



来週からは週二回ぐらいのペースでまた通常の内容の記事に戻ります

写真がたまりすぎて、どこで撮ったものかわからなかったりします(笑)

ツイッターのように短い記事になるかもしれませんが

またお付き合いいただけると幸いです


ありがとうございました




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